興福寺――阿修羅像との出会い
猿沢池の東側、一段高くなったところに、奈良・興福寺の境内があります。池のほとりから見上げる五重塔は、まるで陸の上の灯台。古都の風景のなかに、どっしりとそびえています。
池の北東側からまっすぐに伸びる、「五十二段」と呼ばれる石段。その名は、菩薩が悟りに至るまでの五十二の修行段階に由来するといわれています。
登りきると視界が大きく開け、奈良公園の広大な敷地と一体となった境内が広がります。堂塔がゆったりと配置され、観光客が思い思いに行き交っています。奈良を訪れたなら、ここから歩き始めるのもいいでしょう。人の往来がありながら、どこかのんびりとした空気が流れています。

※2026年10月現在、興福寺五重塔は大規模な保存修理中です。
工事のため建物全体を覆う「素屋根」が設置されており、五重塔の姿を見ることはできません。
私が初めてこの場所を訪れたのは、興福寺の国宝・阿修羅像が日本中で話題になった頃のこと。三つの顔と六本の腕を持つ、三面六臂の仏像。華奢な身体に、憂いを含んだ少年のような眼差し。眉間には、うっすらとしわが寄せられています。
自分もこんな顔をすることがあるな。
なんて複雑な表情をしているんだろう。
会ってみたい――。
世俗を超越した神仏の静けさとは少し違って、正面の顔に浮かぶのは、迷いとも憂いともとれる表情。その姿には、現代に通じる人間らしさがあり、同時に、畏敬の念を抱かせるものがありました。
日本中を魅了した阿修羅像
2009年、興福寺の阿修羅像が日本中に巻き起こした一大ブーム。舞台となったのは、東京と九州の二つの国立博物館です。ガラスケースを設けず、正面からも横からも、後ろ姿までもぐるりと観ることができる、360度展示が話題となりました。
展覧会を終えた阿修羅像は、奈良への帰還後、興福寺の仮金堂へ。ここでもガラス越しではなく、お堂の薄暗がりに佇む姿を間近に拝観することができました。私が初めて阿修羅像に出会ったのは、この頃のこと。
翌2010年春、もともと安置されていた興福寺の国宝館が装いも新たに生まれ変わり、阿修羅像は再びその展示空間へと戻ります。もう一度、会いに行きました。
その美しさの奥には、やはり人間の苦悩が見えてくるようでした。表情や佇まいだけではなく、かつて施された彩色や精緻な模様にも目が向きます。
写真でドラマチックに捉えられた姿、実物を前にすると、彩色の剥落や表面の傷みが思いのほか生々しく感じられます。奈良時代から千年以上の時を経て、今なお目の前にあるその存在に、静かな驚きを覚えました。
美しさと切なさの奥にあるもの
聖武天皇の后・光明皇后が、亡き母の菩提を弔うために建立した興福寺西金堂。阿修羅像は、そこに安置されていた八部衆像の一体です。その少年のような姿には、皇后が幼くして失ったわが子への思いを重ねて見るという解釈もあります。
阿修羅は、仏の教えを守る神々のひとり。古代インドに由来し、帝釈天と争う戦闘神としても知られる存在です。娘を帝釈天に奪われ、激しい戦いを繰り返したという伝説。怒りや争いを象徴する神でありながら、やがて仏教に帰依し、仏法を守護する神となりました。
武器を振りかざすのではなく、胸の前でそっと手を合わせる。何かを深く思い詰めているような眼差し。争いを離れ、自らと向き合っているようにも見えます。
修羅の果ての、張り詰めた静けさ――。
神仏を前にしているのに、どうしてもひとりの人間の面影が重なります。悩み、傷つき、葛藤するそのありように、自分自身を映し見るような感覚。苦悩を抱えながらも、穏やかであろうとする。その姿に、私たちは心惹かれるのかもしれません。
新薬師寺――高円山の麓へ
興福寺をあとにして、舞台は奈良公園の南に広がる高畑町へと移ります。
高畑町は、古くから文人や芸術家たちに愛されてきた、風情ある町。瓦屋根の家々や築地塀が続き、観光地のにぎわいから少し離れた、落ち着いた町並みが広がっています。
高畑町の北寄りに建つのが、明治の面影を今に伝える奈良ホテル。東京駅などの建築で知られる辰野金吾が手がけた、和洋折衷の木造建築です。寺院を思わせる大屋根と洋館としての気品が調和し、古都の風景に溶け込んでいます。
奈良教育大学のほど近く、静かな住宅街の一角に、ひっそりと佇む新薬師寺があります。この寺を訪れたのは、十年ほど前のこと。それなのに、ふと奈良を思うとき、あの光景が必ず浮かんできます。隠れ家を見つけたような感覚。自分だけが知っている特別な場所のようで、心の奥に残りつづけています。

五感に響く、1300年前のインスタレーション
南門をくぐると、正面に本堂。低くなだらかな屋根に白い壁。華やかな装飾はなく、どっしりとした姿で境内の奥に構えています。
新薬師寺は、奈良時代の747年、聖武天皇の病気平癒を願い、光明皇后によって創建されたと伝わる寺です。かつては大きな伽藍を構えていましたが、災害などによって多くの建物を失いました。創建当初は、現在の奈良教育大学の一部までを寺域に含む大寺院だったと考えられています。
現在の本堂は、奈良時代から残る建物。桁行七間、梁間五間。正面に七つ、奥行きに五つの柱間をもち、大きな屋根がゆったりと広がっています。
堂内へ入って見上げると、天井を張らず、屋根を支える太い木組みがあらわになっています。上へ向かって大きく広がる、骨太で力強い空間。
そして、その中央に広がるのは、高さ約90センチ、直径約9メートルの円形土壇。中心に本尊・薬師如来像が座し、周囲を十二神将がぐるりと取り囲んでいます。
薄暗がりの中に浮かび上がる、十二体。
怒りをあらわにした顔。天を衝くように逆立つ髪。大地を踏みしめる脚。武器を構え、今にもこちらへ動き出しそう。
外から眺めた静かな本堂の姿からは、想像もできない光景です。土間から伝わる、肌をなでるようなひんやりとした空気。そして、木と土が混ざり合った、仄暗い匂い。
多くの寺院の本堂には、格天井や天蓋などの装飾が備えられていますが、ここではそうしたものが驚くほど控えめで、建物の構造そのものが堂内の景色をつくっています。遮るもののない空間で、荒々しくも美しい神将たちが、すぐ目の前に迫ってきます。
十二神将は、塑像(そぞう)といって、木の骨組みに縄を巻き、粘土を重ねて形づくられています。波打つ衣の表面には、彩色の痕跡がわずかに浮かび上がり、驚くほどリアル。そして、その眼差しには、ガラスの吹き玉が使われています。薄暗い堂内で、その目がいきいきと光を宿しているのです。
円陣に沿って、一歩、また一歩、ゆっくりと進んでみる。自分自身の歩みがカメラワークとなって、光景を変えていく。土壇からの視線を一身に浴びながら、五感でその空間を丸ごと受け止める。なんという迫力。
さいごに――仏像を観るということ
お堂の薄暗がりに漂う線香の匂い、かすかに届く風の音や鳥のさえずり。仏像と向き合うとき、私たちはその空間が持つ気配にも包まれます。仏像は信仰の対象であり、美術作品でもある。けれど、その魅力は像そのものだけでは語りきれません。
日本では、堂内での撮影を禁じている寺院は少なくありません。写真を撮ることに追われないからこそ、仏像の指先のなめらかさや、衣の細かな波、空気や匂いまでもが、一本のフィルムのように脳裏に焼き付く。それは、読書にも似て、その場に深く入り込んでいくような感覚があります。現代において仏像拝観は、これ以上ないほど贅沢な時間と空間なのかもしれません。
